今ほど医療が発達していなかった昔は自然死が当たり前だったのですが、医療の発展で延命が可能になった現代では以前はタブー視されていた延命治療の中止が終末期医療現場の中でも考えられ始めています。
回復の見込みがない患者に苦痛だけを与える治療や検査を行って延命して良いのか。。本来なら自然に死を迎えているのに、延命治療で死を迎えるまでの苦痛に耐える時間を闇雲に長く伸ばしているだけではと言う疑問も出てきます。
10年以上前だった思いますが、患者の人工呼吸器を医師が外し、殺人罪に問われて社会問題になった事があったのを記憶しています。医師は救命が医師に与えられた使命という医師の使命感が、治療の中止で患者の命を終わらせてしまうと言う延命治療とのジレンマの中で行われたものだと思われます。これはリスク覚悟での、患者を考えての行為ですので、とても素晴らしい医師だったと思われます。
私は若い時に両親を続けてガンで亡くしていますが、末期ガンの最後に心停止した後に2度ほど電気ショックと心臓マッサージで生き返って1時間ほど延命しました。苦痛の末やっと死を迎える事が出来たのに、呼び戻して苦痛を延長しているだけで何の意味があるのか、大変、疑問や怒りを感じましたが、当時はそれが当たり前の手段で、それに関しての説明や選択肢もありませんでした。
亡くなった両親と同じ年齢になって思うのは、例えば末期ガン等で回復の見込みがなく家族に負担をかけている状態では、一切、延命は望まないです。最近は尊厳死という言葉も聞く様になりましたが、苦痛でのたうち回って周りに迷惑をかけての機械による延命の末の死よりもペインコントロール(苦痛緩和)による自然死の尊厳死を望みます。尊厳死は安楽死とは概念的に違うものです。
たとえば、回復の見込みがなく本人も家族も望まない状況で人工呼吸器や胃ろうによって生命を維持している管を外しての延命措置の中止は、患者の命を奪うものではなく、機械に頼らない自然な状態に戻す、自然な最期の死に委ねる、という考え方のものであるかと思います。もちろん患者自身や家族への意思の確認は最重要です。
いままで家族や子供のためにひたすら働いて来られたかと思いますが、年を重ね、今度は家族や子供のために自分の最後はどの様に迎えるかを考え、そして、その思いは医療の現場でどの様に支えられて行くのか、考えなければならない時代でもあると思われます。
今年の1月21日に死去した、朝まで生テレビの討論番組などに定期的に出演していた保守派の評論家で社会経済学者の西部邁さん(78)は喉頭癌や頚椎の病気と4年前の妻の死などによって自身の死も以前から言及していて、自然死と呼ばれているもののほとんどは、実は偽装で、その実態は「病院死」だと指摘。「生の最期を他人に命令されたり弄(いじ)り回されたくない」とし「自裁死」を選択すると示唆していたらしいです。
両親の病院死を経験してきたものとしては大変共感するものがあります。病院の都合や建前で、苦しみながら不自然に生かされての死は避けたいですが、自裁死や安楽死、そして尊厳死への捉え方のニュアンスや価値観は人によって違ってきますので、大変難しいものでもあるかと思われます。。
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