最近はGoogleマップ等であたり前の様に衛星写真を見る事が出来るようになり、その場にいる様なストリートビューまでの機能も可能になりました。
しかし 何十年も前の昔の航空写真は当然見る事が出来なかったのですが、昭和49年の国土庁発足に伴って、国土画像情報(カラー航空写真)をWebブラウザ上で簡 単に閲覧することのできるシステムが10年前ぐらいから提供される様になりました。これを偶然見つけたのは8年ぐらい前で、当時はまだ試作版だった様ですが、それから見やすい様に作り直されています。
このシステムは当時は一般的にはほとんど知られていなかった様で、それから日本各地を見られる様になり、相模原地域ですと昭和49年度から の2〜3年きざみのカラーの高解像度の航空写真がありますので、40年前の相模原市内各所や今お住まいの自宅の周辺等も見れてダウンロードする事が出来ます。
40代の方ですと子供の頃遊んだあの場所、50代の方は通った当時の通学したあの道、60〜80代の方は駅まで通勤で通ったあの通り。人それぞれの思い出があるかと思います。
下に画像情報が表示されます。
表示まで時間がかかります。ダブルクリックで拡大、ドラッグで移動します。
国土画像情報リンク(上の画像が表示されない場合または年度を切り替えたい場合)
国土画像情報で1947年〜2007年までのアニメーション作りました。表示され画像が動くまでお待ち下さい。宅地化により緑地が減って行くのがわかります。
↓↓ 国土画像情報の画像を見やすく編集してこちらのサイトにアップしました
国土画像情報とは関係ありませんが、昭和23年当時(1948年) 小田急相模原駅~御園(米軍撮影)の写真がありましたのでアップしました。
明治時代以前は、今のこのあたりは何もなく広大な荒地と雑木林ばかりでした。明治の初め二人の人がこの土地の開墾をして荒地を切り開きました。小田急相模原駅近辺には昭和10年頃までは14軒の家しか無く、昭和2年に小田急線が開通しましたがここに駅は出来ず住人は電車を眺めているだけでした。
昭和12年に座間に陸軍士官学校(現在 米軍座間キャンプ)が出来て、第1回目の卒業式に当時の昭和天皇が出席するために作られたのが今の行幸道路でした。昭和11年から、相模原は軍都市として様々な施設が造られ、特に市役所近辺の街並が整然としているのはそのためです。
それから駅が出来て、陸軍病院(現在 国立病院)までの道が今の病院通りの商店街(サウザンロード)です。終戦までは山林と葡萄畑に囲まれたさびしい道だった様ですね。
下の写真の米軍住宅もなく一面畑で斜めに走っているのが小田急線と行幸道路です。
クリックで拡大します。
今度相模原の昭和の写真集が出る様でWEB上でミニ写真展しています。
写真アルバム 相模原市の昭和 (いき出版)